17 2016

厨二病

今日は雨だ。

一昨日くらいに、母親から地元の
お菓子が届いた。

前も、地鶏を送ってくれた。

嬉しいと感じれるように、なったの
はごく最近。

わたしは、思春期あたりから
母親のことが嫌い、というか
全く会話をしなくなった。

と、いうのは、
嫌いだからというより、
わたしが精神状態が悪くなって、
家にこもり誰とも何も喋らない
引きこもり状態になっていたから
であって会話をしないのは、
母親だけに限らなかった。

わたしは、13の時死のうと思って
剃刀で手首を切った。
だけど、深く切る勇気なんかある
はずもなく、引っ掻き傷程度の
ものになった。
ガッカリしたけど、暫くしたら
赤く腫れ上がって火傷の後の
ように変わり、それがバカ
で頭おかしかったから、
嬉しくて隠れてなんども
繰り返すようになり、でも母親
はパートや家事などで、
忙しく全く気がつかず、
誰も止める人なんかいないので、
19か20くらいまで続けた。

わたしが、死にたいと思ってること
や、精神状態がかなりおかしく
なってる事に母親は、まったく
気がつかないで、最低限の返事
しかしないのも、精神状態が悪い
せいだとはあまり思ってなかった。

衝動的にトイレのドアを蹴って
穴を開けた時も、ストレスがたまった
からというと、毎日家に居るだけで、
なんのストレスがあるの?と
不思議そうにしてた。

わたしが自分の心の中を、他人に
見せないようにして、おしころす
所があったのが、悪かったのかも
しれない。

もっと早く、母親に自分の胸のうちを
話すことができたら、あんなに
精神状態が悪くなることは
なかっただろうな。

でも、何も気づいてくれない
母親に恨みを持っていて、
そんな弱みは見せたくなかった。

だけど、リストカットを深く
してしまった後に夏が来てしまい
バイト先から、いつまでも
長袖着てないで、半袖を
着なさい。と言われた後、
ああ、バレちゃうから
もう死のうと思い
次の日の朝、決行をきめた。

だけど、怖かった。なんだ
いって死にたくなかった。
朝、母親が仕事に行く時、
このまま行ってしまったら、
わたしは一人になり
死ぬしかなくなるの
で、家を出ようとする
母親の前まであんま覚え
てないけど、泣いたかなんか
して行かないでと態度で伝え
、リストカットもバレて
死にたいと思ってることも、
知られ、お願いだから
病院に連れて行ってと頼んで、
精神科に行って、気分変調症
と診断された。

ずっと、母親に心のうちを
話さなかった。
そんなわたしを、
自分は放置されてる
と感じて、母親と深い溝が
出来てしまい、何も相談も
しないまま滋賀の住み込みの
工場の仕事をみつけ、そのまま
家を出た。

ずっと、母親に対して愛情
を感じなくなって、最近まで
凄く冷たくあたってた。

やっと今、母親がどれ
だけ自分を愛してくれてるのか
ということを受け入れて、
前は今更なんだと思ってたけど、
優しく接する事が出来るように
なった。

まだ、ぎごちないけど
可哀想だし、母親をまぁまぁ
大切ににしたいと思ってる。
という、へたくそで
厨二病的な気持ちの悪い
文章でした。

おしまい。

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